日本講談と中国評弾の橋渡しを実現

 (写真の内容に関しては下記文中にて説明)

 

 
 


 


 

2004年10月下旬、私は日本の語り芸である講談の宝井琴梅師匠(以下通称の琴梅師匠を使用)に伴って上海、蘇州へ向かい“中国講談視察”の旅に出かけた。上海では郷音書范にて弾詞を聴き、同市内浦興書場では評話を、そして蘇州評弾博物館では開篇を楽しんだ。今回我々二人の旅は、私が長年お付き合い頂いている上海評弾団の国家一級女性演員、瀋世華師匠の御配慮を頂き、「よい勉強になり、得るものが山ほど」(琴梅師匠)有り「日本の講談発展の為、是非日中友好講談会を実現したいと思って」(同上)いる。ここで、瀋師匠に心よりお礼を申し上げる。また、日本と中国の同業の芸術家の交流の橋渡しを初めて実現出来たことは私自身、光栄で誇りに思う。

私はここ26年間琴梅師匠の御交誼を賜っている。高座に接するだけでなく終演後も一杯酌み交わしている。瀋師匠は1987年中国曲芸家協会公演団(団長は鼓曲の大看板、駱玉笙師匠)の団員として来日した折初めてお会いした。ただ惜しむらくは中国で瀋師匠の生の高座に巡り会っていない。

実は出発前に琴梅師匠はホームページ「琴梅のおすすめ」にて期待度を表明している。

「『中国講談視察』:中国では講談のことを「評弾」と呼んでおります。細かく云うと、テーブルと椅子を用意して醒木(拍子木)、扇子、ハンカチを小道具に「書」と呼ばれる読み物を第一人称にて講じることを「評書」「評話」と言います。それに対して上海、蘇州では、評話の要素に付け加えて演者が三弦や琵琶などの楽器を自ら弾き唄うのを「弾詞」と言います。一般にこの弾詞と評話を総称して「評弾」。この評弾の演じられる場所を「書場」と称し、高座と向かい合った客席は椅子席で、ここではお茶や西瓜、南瓜の種や菓子を口にしながら聞いております。興行時間は2時間で、一席が1時間の長講、半月ごとに演者が入れ替わる。
 
以上の予備知識は一緒同行して中国講談を案内して下さる(有)英華語コーディネートの福島様からですが、とにかくどんな話がどんな所で演じられているのか、今から興味津々でございます。今回の中国講談視察が近い将来「日中講談大会」のようなものへ持って行けたらいいなと思っております。」
 さらに、手紙にて、私が中国評弾ホームページ中の
第一楼書場の内部光景をご覧になって東京にあった講釈場の「年寄りの捨て所そのまま」だと懐かしく思い出されより一層“中国講談”への思い入れを強めて頂けた。私の記憶でもこのお年寄りこそ本当の講談通で、その眼力は凄まじく講談家への励みとなり、また面倒見が良い。

上海に到着した翌日、私たちは瀋師匠の案内で“5月1日に再開したばかりで国内外の評弾愛好家を引き付ける” 郷音書范で弾詞を味わった。私は琴梅師匠が馴染んで頂けるか不安も有ったが杞憂であった。内容は分からずとも演者の演出形式や客席が静かに聴き入る姿に魅了された。ここで演者の名前や演目を記録に取らなかったのが惜しまれる。

さらに琴梅師匠は、帰国後にホームページに以下の印象を紹介されている。

l 上海市内浦興書場での感想。「無錫市評弾団団員の陳景声さん出演で、演題は「岳飛伝」、岳飛という人は南宋の武将にして“誠忠報告”英傑で、中国の人達にとって歴史上最高のヒーローなんだそうです。その岳飛の活躍を面白楽しく語ってくれました(といっても私は中国語が分からないので、顔の表情や仕草で楽しませて頂きました)客席は年寄りの男性客が多く、お茶や南瓜、西瓜の種、お菓子などを食べながら聞いていました。高座時間は2時間半ぐらい、1時間半喋って、10分間の休憩、後半が1時間。15日間で「岳飛伝」を読み切るのだから余程の実力がないと高座をつとめられない。

l 蘇州評弾博物館に人力車に乗った芸人の銅像あり、売れっ子になると車で何軒も掛け持ちをするという。「先生、お忙しいところお越し頂きましてありがとうございます」と出迎える私。

l 蘇州評弾博物館内の呉苑深處茶館書場で我々は開篇を鑑賞した。この日はお客様のリクエストで歌が主になっていたようですが、しかし舞台と客席が一体になって本当に楽しい雰囲気でした(日本の寄席では先ず体験出来ない)。あまりの楽しさから通訳の福島さんは飛入りで舞台に上る、私は出演者と記念撮影をしてしまうという、まさに日中友好講談会でした。

l         すべてに恵まれた中国講談視察の旅でした。4年後にこの中国でオリンピックが開催されますので、是非是非、講談のオリンピックを日本で開催したいものです。

ところで私はもともと演芸ファンで、20数年来、上海に出かけると寄席に相当する場所を探した。それが書場での評弾との出会いである。西蔵路に有った書場が懐かしく思い出される。内部は広いが客席はまばらであった。内容はまったく聴き取れないが、その読み口、くすぐり、演奏、歌い調子、そしてしぐさに代表される演出形式、また、自ら茶を入れながら高座に聴き入る客席の姿に魅了された。とりわけ、1990年、上海の郷音書苑と蘇州の書場での蒋雲仙師匠の「啼くも笑うも夫婦(めおと)のご縁では1時間という日本では“長講”と言われる中でぐいぐいと引き込まれたのを思い出す。終演後、彼女はそのまま黙って観客が客席を離れるのを見送っている。(日本ならば高座で頭を伏して幕の下りるのを待つ)。また、当時蒋月泉師匠の演目「尼寺にて母に出会う」のテープを買い、その唄い調子は琴線に触れるものがあった。事実、今回、呉苑深處茶館書場で私がリクエストした演目は蒋月泉師匠の十八番ばかりである。一方、書場内には日本の講釈場同様、高座と客席には親しみやすく落ち着いた雰囲気が満ち溢れている。これらは私が琴梅師匠に評弾を御紹介しようとした主な要因であり、師匠も評弾を“中国講談”と形容して親近感を抱き百聞は一見に如かずと現地に赴いた。

さて、日本の講談は、評話と同じく、一人の演者が自分の言葉で演目を語り、登場人物を演じ分ける。節回しはない。高座着を身につけ高座に上がり講釈台を前にして、張扇、拍子木や手ぬぐいを小道具とする。張扇や拍子木の一叩きで場面、時代、話題が変幻自在となる。読み物は歴史物、英雄任侠ものである。

講談家は希望する師匠に弟子入りを請い許されれば入門となる。現在は他の職業から転職して来る人が多い。男女の比率が半々で、年代は老・中・青様々で約60名、東京、大阪を中心に活躍している。固定の講釈場が無いので独自に演じ場所を作る。しかも今は講談家の年齢層の変化、とりわけ女流の増加によって各世代の客を呼び、客層も大きく変化している。

琴梅師匠は古典講談のほか、自作自演の新作を手がけられる。権力、金力の横暴に対する庶民の怒りを代弁。舌刀でバッサリ斬り捨てるところに講談の原点があると、鎌倉市の安国論寺、川越市の連馨寺境内で毎月辻講釈を行っている。先ず時事の話題をまくらで取り上げ本題で関連する伝統講談の一席を聴衆に披露する。また、1987年より、食料問題の原点をさぐるため日本全国を東奔西走。農家に泊まり込み生産者の本音、実態を勉強し、これらの体験をもとに農業講談を高座にかける。現在新潟県大和町にて10アールの田圃を借り、キンバイ米を栽培、農業の大事さを実体験している。題して「おらあ日本のマンマが食いてえ」の一席。

さらに1996年に自ら出資して新潟県の農家を借り寄席を開設した。毎月2日間、師匠は当地へ赴き他の演芸人と高座に上がり現地の住民や日本各地から来る寄席ファンに芸を披露する。

ここで、時代と芸術の関連について卑見を申し上げたい。現代はこのグローバルかつ情報化時代である。今回の旅立つ前に、私は中国語のインターネットで評弾を検索した。主に上海評弾ホームページ並びに中国評弾ホームページで、かなり広範囲の情報が公開されていて便利である。とりわけホームページから瀋師匠の口演を耳にすることが出来、またその芸風と半生を紹介したホームページも検索できた。また、上海市内各書場の番組表が掲載している。これによって市内の定席が20以上有ることが分かる。では、江南一帯にはどれだけの書場が有るのだろうか?日本の講談界の状況からすると私にとっては評弾の現状は羨ましい気もする。また、中国評弾ホームページからは蒋雲仙師匠のお弟子さんたちの活躍の様子が分かり、往時の彼女の高座を懐かしく思い出す。

ただ、琴梅師匠が所属する講談協会もホームページを開設している。また、琴梅師匠や各講談家個別に開設しファンのものもある。講談情報なら何でも有りで大変便利である。

結局、講談と評弾には様式や内容において共通点があり、それぞれの国で一定の位置付けがなされている。このグローバルな時代にお互いにその特徴を学びあい発展すればいいなと思う。その時橋渡しの役割を私が果せるならばこれに勝る光栄はない。

とりわけ、私は様式の共通点や特徴の追求だけに満足してはいない。評弾の内容も調べてみたい。例えば、美人の例えとして講談家が引用する「沈魚、落雁、閉月、羞花」は、今回購入した評弾のCDの演目にも「沈魚は西施、落雁は王昭君、閉月が楊貴妃にして、羞花は貂禅」とある。これは歌詞カードが有るから助かる。また、蒋雲仙師匠の芸術生涯50周年のVCD、小説「啼くも笑うも夫婦(めおと)のご縁」(張恨水著作)や同名テレビドラマのDVDも購入したので“研究”を開始したい。さらに、上海評弾団の呉君玉師匠の読む評話「水滸伝」の抜き読みのVCD。題して「宋江、潯陽楼にて」、「武松、蜈蚣嶺にて大暴れ」及び「武松、蜈蚣嶺にて夜戦に臨む」の三席。読み口調の歯切れのよさと演じ方から伝わってくる主人公、宋江や武松の飄逸として粋な姿は、まるで先年亡くなられた小金井芦州師匠の三尺物を彷彿とさせ、現在の琴梅師匠の辻講釈での立ち居振る舞いとも結び付けてしまう。ただ、願わくはこのDVDも字幕を入れて頂きたいものである

ここまでの長い駄文をご笑覧頂き有難うございます。今後とも関係各位の御指導、御協力をお願い致します。                            

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