4.評弾家の身分、組織
 

(1)          希望者は蘇州評弾学校へ入学

l        中学校、高等学校の卒業資格を有する希望者が選抜され蘇州評弾学校に入学する。同校は 江蘇省立の全日制中等専門芸術学校で、中国国内唯一の将来評弾家を目指す人材を育成する機関である。現在、江南地帯(江蘇省、浙江省、上海市)の評弾界で活躍する評弾家の中堅と若手の95%以上が同校出身者である。

 

l        1962年に、中国の主要な政治家の一人、陳雲氏の発案に基づき、江蘇省並びに蘇州市当局により蘇州市戯曲学校を蘇州市評弾学校に組み替えた。因みに、陳雲氏は名誉校長として今日でもその名を同校に残し、校名の揮毫や、同校の「人材育成、読み物創出、正規の道を歩む」という校訓は同氏の考案に基づく。
 

蘇州評弾学校(宝井琴梅師匠撮影200410

 

l        そして、中国政府が1978年の改革開放政策を採用して以来、生徒の募集枠を拡大し、三年制の中等専門課と五年制の高等職業課の二部門制を採用し、学生の総合技能の育成に重点を置いている。在校生は271人。(同校URL記載)

 

l        同校卒業生の中から、中国芸術祭、中国演芸祭、中国蘇州評弾芸術祭、江蘇省演芸蔡、及びその他省や市レベルでの催し物などに参加し大賞を授与された者も多い。袁小良王瑾王池良もその中に入る。

 

l        因みに2005年には定員110人に対し2000人の入学応募者が有った。(中国評弾ネット)これは、当校の卒業生に対する各企業の需要が多いことも一因であると言う。

 

l       卒業後に評弾家を目指すものは特定の師匠に弟子入りする。ただし、開校当初より、果たして学校教育制度が良いのか、あるいは師弟制度が適当か、論議された。しかし要は、学校教育が持つ個人の総合資質の向上という長所と、師弟制度の一対一で、本人の適性に合った実践的な指導が可能という長所を組み込んだ教育体制を確立すべきであるという指摘も有る。(「蘇州評弾」周良著、蘇州大学出版社より引用)。

 

l       弟子入りに関し、日中友好講談大会開催(2008年10月13日~20日)に来日した袁小良によると、弟子入りする師匠が複数になることも有る。第一の師匠はいわゆる“入門”で基本的なことを教えられる。そして、この師匠が当人の資質を見て、今後の成長に相応しい師匠を紹介し、その弟子入りを許す。さらに今後の発展のために名義を借りるために師弟関係を結ぶことが有る。なお、いずれも人間関係が親しい師匠間で出来ることである。因みに、王池良は、1987年に蘇州評弾学校を卒業し、也康、施春年、劉蘭芳の3師に師事。さらに国良、揚子江飛、楊玉麟など評話界大御所に稽古をつけてもらった。因みに、彼の芸名「池良」は、国良師の「良」、及び也康師の「也」と揚子江師の「江」の「氵(サンズイ)」を組み合わせて「池」にしたとは本人の弁。袁小良は、龔華声、優惠秋、薛小飛の3人の師匠に師事したが、この「袁小良」という芸名は、評弾家である実父が「袁逸良」で、その子供なので「小」の字を入れ、今では本名として戸籍登録しているという。 王瑾は蒋雲仙一人の師匠である。

 

 l       日中友好講談大会開催(2008年10月13日~20日)に来日した袁小良によると、弟子入りする師匠が複数になることも有る。第一の師匠はいわゆる“入門”で基本的なことを教えられる。そして、この師匠が当人の資質を見て、今後の成長に相応しい師匠を紹介し、その弟子入りを許す。さらに今後の発展のために名義を借りるために師弟関係を結ぶことが有る。なお、いずれも人間関係が親しい師匠間で出来ることである。

 

l       ところで、当初は、評話、弾詞の2課の専門課程が設立されたが、評話課程は2001年に生徒募集を停止していた。そして、200711月より評話クラスにおける教学を正式に復活させることが決定した。

 

l       事実、2007年初頭には中国評弾ネットにも「評話コースを必ずや復活させねばならない」という記事が掲載され、また、蘇州、上海の評話家による公演や対談が行われ、同ネットに第一部第二部第三部にわたり掲載され現時点での課題に言及している。

 

l       なお、卒業生で蘇州市評弾団所属の女性評話家、袁新華さんの「私自身ちょっと考えたこと」という投稿が2004年時点の評弾ネットに記載されている。

 

(2)          卒業後、各地の評弾団へ配属される。

中華人民共和国成立後、評弾家は各地元の中国共産党や行政府の指導下で活動を始めた。1950年代に各地方行政府により評弾家の登記管理が実施された。その後、蘇州、上海、杭州など揚子江下流一帯の各都市に演出団体として評弾団が組織され、芸の学習及び向上を図ると共に、生活福利などでも施策が図られた。当初は固定給与制度を導入したが、評弾芸の発展、自由や融通性さらに個性が求められる評弾家にとって不適当な面が出て来た。即ち、平均主義や親方日の丸が目立ち、個人の積極性や創造性を束縛することになった

1965年秋ごろからほぼ10年間にわたる政治闘争、文化大革命を経て、1980年代以降の対外開放政策の中では、評弾団にも独立採算制が求められ今日に至っている。そこで、各評弾家にも業績配分が求められている。(上掲書「蘇州評弾」より引用)

(3)          書場と折半の出演料(但し要確認)

書場にて演者が一定期間(半月、一ヶ月)の公演を終了すると、書場の同期間の総収入額から営業税と書場管理費を控除した残りを書場と評弾家で折半する。因みに、「創作読み物「文革風雲」で今や人気最高の中堅評弾家、李剛氏の場合、今年8月、蘇州光裕書苑では、来場者総数7317人、平均毎日236人、書場合計売上額28,508中国元(日本円;427,620円)、上記方式の折半にて李剛氏の手取りは13,637中国元(日本円:204,555円)この観客動員数と手取り額は最近では同書苑の最高額である。(中国評弾ネット引用)

また、「既に10年前より蘇州市評弾団では“給与の凍結、公演ごとの決算、歩合制、費用自己負担」(中国評弾ネットより引用)という記事もある。


 
日中友好講談大会開催(2008年10月13日~20日)に来日した袁小良によると、実力の有る評弾家の場合、予め書場との間で出演料を決めておくと言う。この場合、書場側は客の入りを予め見積もって決めている。

 

(4)          評弾家の資格

2008年10月13日~20日に袁小良王瑾王池良の3氏を日本へ招請し日中友好講談大会を開催した際に、歓迎会、各会場での質問コーナーで紹介が有ったのでここに記す。

「四級演員」から「三級演員」、「二級演員」、「国家一級演員」と別れ、蘇州評弾学校を卒業し弟子入り以後に、四級から三級に昇格するのに約8年かかり、その後は二級までは4年ぐらいが平均と言う。

「二級演員」から「国家一級演員」までは難関で本人の技量次第と言う。

そして、認定するのは二級までは各地方の文化人の評価によるが、一級は国家レベルで認定される。
 

 ー続くー