私自身ちょっと考えたこと

袁新華

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蘇州評弾は一種の総合芸術で、語り、くすぐり、弾き、節回し、そして演じることに重点を置き、弾詞と評話に区分され、俗にはそれぞれ小書と大書と呼ばれている。小書では弾きと節回しが有り、大書の舞台で頼みとするのは一本の醒木(聴衆の注意を引くために机をたたく木片.拍子木.と一本の扇子に一枚のハンカチ、そして一人の演者で、道具は簡単だが、演じる内容は豊富であらゆるものを網羅していて、色々な役柄の演出を支えている。女流評話芸人として私自身が舞台を努めた後で考えたことを述べさせてもらいたい。

評弾学校卒業からあっという間に2年が過ぎてしまい、道理に照らせばその書を講ずる実力などは当然一人前のはずなのだが、しかし私については(感覚的に)大きな進歩がなくて相変わらず元の場所で足踏みしている感じで(小書ならば著名な師匠の集中指導が受けられるが、我々大書にはそれが無い)、自分自身に懐疑的になる。

学校出立てで間もない女流評話芸人として、長編演目は既に問題なく演じられると私自身は思っているし、しかも私の演目は伝統的な長編演目である《英傑》である。しかし内実は辛苦なものだ。考えると卒業時には専門科目は指折りの成績であって、幸い蘇州市評弾団に入団でき、将来はきっと専門分野の造詣が深くなり、私自身の長所、潜在能力が発揮されてひょっとしたら名を成すかもしれないとおぼろげに思い浮かべもしたけれども、でも、この世界に足を踏み入れると現実とむなしさが本当に身に滲みる。

だって、我々評弾のお客さんはほとんどが高年齢層なのです。しかも大部分の書場が農村にあって、劣悪で、実際あの人たちの中には退職金の無い人もいて、毎日木戸銭払って聴きに来れば私たち演者の実力を頼りにしているわけで、身銭を切った以上は上手い芸を聴きたいと思うのは筋だし、名人の語る逸品を聴けたら最高と思うだろう。それがお客さんによっては我々若手をつかまえて先輩師匠方と比べて優劣をつける、でも私たち校門を出たばかりの若手には全く不可能なことなのだ。そこで振り回されないように、自ら最大限の努力をして毎日の高座を勤めるのだが、お客さんの中にはどういうわけか分からないが、望みどおりの高座が見られないと高座の芸人を恨みがましく見ている。これって凄く残酷ですよ。例えば私の場合、学校出立ての女流評話芸人で(今や評話芸人はますます減っている、女流はことさらで寥々としていくらもいないし、本当に骨が折れる。一人で二時間の高座を勤める。弾詞は二人で二時間、しかも収入は両方同じ、時には彼らよりも少ない。女流評話芸人は本当に容易ではない。私の演じる《英傑》では数え切れないほどの登場人物、しかもそのほとんどが男性でしかも大人物ばかり、例えば蒋忠、胡大海、常遇春、朱元璋、さらに各種各様の王族たち。男性芸人でさえ難しい役柄を女性の私が演じる。映画俳優の代役が難しいように女流がこんな役を演じること自体至難の業だ!でもかなりのお客さんは分かってくれない。役作りがなってないとか、あんたの師匠はこう演じているだとか、いずれも評弾の芸人は舞台で華を飾らなければと言う、しかし私にとっては自己を醜くしてしまう、また発声については演目が男性ばかりで女流にとってはこれが問題で舞台を降りるとのどはガラガラ、しかも学校での先生の教鞭中にはその演技指導は無くてこれまでに私も見たことが無かったし、ビデオも無い。時々本当に同級生が羨ましくなる。彼らは母乳を十分に飲んでいる。私は……、しかしこうも思う、すべて頼れるのは自分だけ、学校のように先生に頼れない、自分でゆっくりと手探りで、しかも研鑽してこそ成功する。私の脚本も十数年前のもので現在とは既に幾らか食い違っている。どうやって能力を引き上げようか、独り立ちして一年も経っていないのだなあ。

一般の同世代の人々は家では両親が掌中の珠のように可愛がっている。.私はどうだろうか。一人で船出したばかりでなく、書場を東へ西へと探し回り、車をここで乗り換えあそこで乗り換えして、波止場暮らしの苦難や無味乾燥なことは言うまでもない。今年の正月を皆が家で迎えたのに私は駆け回っていた。上海に出て体調不良でバスの中でめまいがして倒れてしまい、隣の人に助けてもらって座れたけど頭は朦朧として目の前は真っ暗(もともと私は健康なのだが、船出後は不規則な生活でどうしても自己管理がうまく行かずその上高座での苦労、ストレスで胃痛を起こしたり他にも何かあったりで、家に帰れば母親が私と別れるのがつらそうだし、だいぶ痩せたねって言うし、この時には私も目に涙がいっぱい溜まるが、じっとこらえる。心配させたくないから。)また、バスの停留所でも注意を要する。乗り過ごしたら悲惨な目にあう(だって今まで行った事もない所なのだから)書場について心身不慣れなのを堪えて高座を勤め上げる。こういう苦労は現代人には想像できないから、本来自信と希望に満ちて学校を卒業したかなりの若者が転業して行く。その上収入と支出が実際あまりにも釣り合わない、交通費、食事代などの支出が馬鹿にならず、一ヶ月稼いだ苦労のお金もこれを除くと財布にはいくらも残らない、しかも毎日が“流浪”の生活で、思いがけなく涙で満面あふれることも有る。

こんな苦労だけれども、しかしやはり私は続けて来た。だってずっと父親に言われたことが脳裏にあるから;「若い者が苦労をしないと大器にはなれない」

私は忍耐強く、頑張り続け、細心を尽くし、そして新しいものを作り上げるよう努力しよう、そして自分自身を超えよう。

以上 

訳注:

本文は2004年に中国評弾ネットに掲載され、同年10月に宝井琴梅師匠と視察旅行に行く前に参考資料として翻訳、提供したものです。なお、写真は本年(2007年)4月に同ネットより転載しました。